高野山へは車で向かいます(笑)「道の駅 紀の川万葉の里」から480号線を通るルートです。他の道は大変細いため一般的にはこれが推奨ルートだと聞いたので。車はコンパクトですが、運転に自信があるわけではありませんので(;´▽`A`` アハ
【目次】
金剛峯寺大門
大門南駐車場に駐車しようと思い向かいましたが、手前にあった臨時駐車場を利用。高野山の駐車場はほぼ無料で、近くにトイレがあるところも多いので助かります。(近々有料化されるとの噂を聞きましたが…)
まずは「金剛峯寺大門」へ。昔はここから先が女人禁制だったので、中を覗き込む女性が多くいらしたとか。1906年(明治39年)に撤廃され、今では自由に入ることができます。
この門の左手には、女人道の入口があります。その先にある「女人堂」で弘法大師に祈ったそうです。
山道を登った先に開ける宗教都市・高野山。
てくてく歩いていて見つけた3町石。もうすぐ目的地ですねー
壇上伽藍
そして、町石が終わる場所…そこにあるのが「壇上伽藍」です。旅行前は壇上伽藍という建物があるのかと思っていましたが、どうやら間違えだったようで…。「弘法大師が創造した仏の世界」という意味があり、つまりは境内の建造物などが、すべて「壇上伽藍」ということになるそうです。すごい…
弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、奥之院とともに高野山の二大聖地の一つです。密教思想に基づく曼荼羅(まんだら)の世界観を具現化したものといわれ、高野山全体の総本堂である「金堂」や高野山のシンボルともいえる高さ48.5mの「根本大塔」など19もの諸堂が建ち並んでいます。
わかやま観光情報サイトより引用
中門をくぐると正面に見えるのが「金堂」、高野山の総本堂です。
右手に見える朱色の建物…「根本大塔」です。シンボル的なイメージでしょうか。壇上伽藍の写真として目にすることが多い気がします。
金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木があります。この松の木にこのようなエピソードが残っています。弘法大師が唐より帰国される折、明州の浜より真言密教をひろめるにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲(しうん)たなびき、雲に乗って日本へ向けて飛んで行きました。後にお大師さまが高野近辺に訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があるとのこと。早速その松へ行ってみると、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、お大師さまはこの地こそ密教をひろめるにふさわしい土地であると決心されたそうです。その松は三鈷杵と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになりました。現在では参詣者の方々が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にされています。
高野山真言宗 総本山 金剛峯寺から引用
そんな三葉を探す皆さん(笑)
私も例外ではなく必死に探しました。家族に「欲が強すぎる!!!」と言われる程、それはそれは必死にwww しかし見つかることはなく( ;∀;) …諦めて壇上伽藍を見て回り、三葉のことなどすっかり頭から抜け落ちた…その時に見つけたのでありました。大事に大事にお守りにします。
把手がついていて回せるようになっています。一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれてるそうで、居合わせたおねーさんと家族と3人で回しました。
金剛峯寺
高野山真言宗総本山の寺院です。
高野山に圧倒されてしまい、もう既にお腹いっぱいな状態に。気軽に足を踏み入れてはいけなかったのかもしれない…いろんな意味で想像をはるかに超えるスケールでした。一度では無理だな、何度も足を運ばなければ…と思ったのでありました(;´▽`A``
ということで、こちらはさらっとみるだけで(笑)
金剛三昧院
少し休憩を入れて、気持ちがちょっぴり持ち直したので「金剛三昧院」へ行ってみました。こちらは、北条政子が源頼朝と息子の菩提を弔うために建てたお寺です。本尊の愛染明王は恋愛成就の仏様なのだそうです。
こちらの多宝塔は、高野山で現在残っている最も古い建立物で貞応2(1223)年に建てられたんだそうです。
夜の壇上伽藍
GWともなるともうだいぶ気温があがり汗ばむ日もあるイメージですが、高野山は標高が高いこともあり、まだ桜の咲く季節。ちょうど寒波がきていたこともあり、想像以上に寒くて(最低気温2℃)ここでギブアップ。車に戻って暖を取りました。FFヒーターがあって本当に良かった…( ;∀;)
疲れもあって、一気に眠りにおちていく~~~ということでしばし昼寝をして、夜の壇上伽藍へ。
この日は高野山の駐車場で仮眠となりました。お休みなさい~