26日は横浜から「道の駅針テラス」まで進み、仮眠を取って、翌朝に高野山に向かいました。
【目次】
慈尊院
そのまま高野山入りしようかと思っていたのですが、予定より早く到着したこともあり、せっかくなので「ブラタモリ」で見た本来の入口だという場所へ行ってみることにしました。それは高野山の麓にある「慈尊院」です。空海が高野山の参道入口として建てたのだそうです。
「慈尊院」の入口には、下乗石があります。「ここから内側は神聖な場所なので身分に関係なく馬を降りるように」という印です。貴族はもちろんのこと天皇もここから歩いて登ったんだそうです。
もともとは3mもあったそうですが、水害で破壊されてしまい今の大きさに…。「下」の文字だけが今も見ることができます。
慈尊院から少し離れたこの場所に、もともとは建っていたそうです。ちなみに、この坂を下った先に「空海が歩いた道 船着場跡」があります。ここからが正式な高野山への参詣道。
そんなブラタモリから得た知識を頑張って披露してみました(笑)正直あんまりよくわかっていません。宗教にも歴史にも疎いので(;´▽`A`` でも神社仏閣巡りをしていると、ほんの少しずつだけど知識が増えているような気がしなくもありません。←もう発言がおつむ弱い感じですがw
慈尊院は玉依御前、弘法大師の母上様が住まわれていたお寺で、女性にご利益のあると有名なんだそうです。
乳がんにもご利益があるということで、こんな絵馬もありました。
丹生官省符神社
慈尊院から続く階段を登った先にあるのが「丹生官省符神社」。こちらも弘法大師が建てた神社です。
こちらの石鳥居の横にひっそりと180町石があります。
高野山の中心までここから180町あります。1町は約110mで180町は約20kmです。1町ごとに石が置かれています。
この町石自体が仏様とされていて、後宇田上皇(後醍醐天皇の父君)が一体ずつ拝みながら歩いたら、あまりに過酷で途中で気絶しまった…という話が残っているのだとか(;´▽`A``
丹生官省符神社の駐車場に179町石があります。
高野山へと続いていくのですね…。ええ、私は車でビューっと行きますw 歩くと7時間近くかかるそうですよ~。熊の出没情報もあるそうなので、歩かれる方は熊鈴お忘れなくー!!!
いつもは何となく神社とお寺の御朱印帳を分けているのですが、うっかり同じのに頂いてしまいました…
勝利寺
周辺を散策していたらきれいな藤の花が…
その右手に気になる階段がありまして…
急階段!!!こんな階段やだー!!と最初は思ったのですが、好奇心が勝ってしまい上がってみることに(笑)
なかなか立派な門ですね~。「勝利寺」だそうです。
こちらの右手に資料館らしきものがあり、覗きこんでいたら管理の方に「どうぞ~」と声をかけていただき、見学させていただきました。「紙遊苑」といって高野紙(古沢紙)の紙漉体験ができる体験資料館です。以前は勝利寺の住職が住まわれていた建物なんだそうです。
勝利時は、その昔、後宇田上皇が高野山に登る前にお泊りになった由緒正しいお寺なんだそうです(気絶されてしまった…方です(笑))。残念ながら現在は住職がおらず、観光協会と慈尊院で管理をしているのだそう。なので「もし御朱印を集められているなら慈尊院で頂いてください」と教えていただきまして、いただいてきました。ありがとうございます。
道の駅 紀の川万葉の里
「道の駅 紀の川万葉の里」へ移動し、一休み。
朝ごはんです( ´艸`) いちごが美味しかったです。今年イチ!!(≧▽≦) ♡ あとで食べる用にもう1パック買おうと思っていたのに、うっかり忘れて高野山へ~~~( ;∀;)